「青い麦」(コレット)①

ほぼ全編にわたってすれ違う二人

「青い麦」(コレット/河野万里子訳)
 光文社古典新訳文庫

幼馴染みの
フィリップとヴァンカは、
いつもの夏と同じように
ブルターニュの海辺で過ごす。
だが、
16歳と15歳になった今年は、
互いを異性として
意識し始めていた。
そんな中、
年上の美しい女性・
ダルレイが現れ、
フィリップは…。

本作品は再読になるのですが、
やはり胸がときめきました。
50を越えてこのような作品に
胸をときめかすのも
どうかと思うのですが、
主人公の初々しい二人を
俯瞰的に眺めることができる
年齢になったからこそなのです。

ほぼ全編にわたって、
二人はすれ違います。
おそらく一年前の夏、
15歳と14歳のときは
自然と流れていたことが、
今年は淀みに
淀みまくっているという感じです。
フィリップがよかれと思うことが、
ヴァンカにとってはすべて気に触る、
ヴァンカの思いが
フィリップには伝わらない。
読んでいてもどかしい限りです。

なぜそうなるのか?
1歳違いという微妙な年齢差と
男女の成長速度の違い
なのではないかと考えます。
16歳の男子は、
身体はかなり大人に近づいています。
性的欲求も大きくなっています。
しかし、
それに比して内面的部分には
まだまだ子どもらしさを残しています。
15歳の女子は、
身体の成長も著しいのですが、
内面的な成長は
それ以上に大きいように思えます。
また、この年頃は、
成長の個人差も大きいのです。
つまり、
16歳の男の子と15歳の女の子では、
肉体的には男子が年上、
でも精神的には
女子が年上ということが
十分にあり得るのです。

さらに、
まだまだ自分を客観的に
見ることが難しい年齢でもあります。
フィリップはマダム・ダルレイに
アザミの花束を贈るのですが、
「あなたは、これを受けとる
 私の喜びを考えてくれたのかしら。
 あなた自身の喜びよりも?」

たしなめられる一幕があります。
フィリップはヴァンカに対しても
相手のことを考えているように見えて、
実は自分を第一に考えている
幼い心理が、
いたるところに現れています。
それがまた微笑ましいのです。

筋書きよりも、
若い二人のそうした
ぎくしゃくしたやり取りに、
50を過ぎてしまったおじさんは、
ついつい心を
ときめかせてしまうのです。
ああ、自分も確かに
こういう時期があった、と
(こういうロマンスは
なかったのですが)。

ぜひ中学校3年生に
お薦めしたいと思うのです。
心と体の成長のアンバランスに
気付かずに悩んでいる
子どもたちも多いのです。
生きるための何かのヒントに
なるのではと思います。

(2018.11.27)

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